Hiro、
コネチカットから手紙を書く。
日本へ。ぼくは今、派手ではないが妙に忘れがたい州にいます。大学の石造り、港町の朝、静かな宿、そして文学の町。ここは、写真より先に言葉が残る場所です。
日本へ。ぼくは今、派手ではないが妙に忘れがたい州にいます。大学の石造り、港町の朝、静かな宿、そして文学の町。ここは、写真より先に言葉が残る場所です。
石造りの校舎、広場、歩く速度。ここでは頭の中が静かに整い、言葉が少しだけ良くなります。
港町では、文体まで少しやわらかくなります。潮の匂いが、文章の角を取ってくれるからです。
このページは、旅の報告書ではありません。ガイドでも、宣伝でもない。けれど読んだあとで、少しコネチカットへ行きたくなるように書かれた、一通の長い手紙です。
日本のみんなへ。
コネチカットという州は、来る前に想像していたより、ずっと静かで、ずっと頭の良い州でした。こう書くと少しかたいけれど、ほかに言い方が見つかりません。大きな声で観光を売り込んでくるわけではない。でも数日歩くと、町の石の色、窓の光、朝の広場、港町の橋、古い家の木の匂いみたいなものが、妙にこちらへ残ってきます。
ぼくは最初、この州を「ニューヨークとボストンのあいだにある、少し上品な場所」くらいに考えていました。半分は当たっています。でも半分は外れていました。ここは、ただの通過点ではありません。通り過ぎるには、少し文体が良すぎるのです。
コネチカットは、最初の一枚で恋をさせる州ではない。
けれど帰るころには、誰かに手紙を書きたくなる州です。
石造りの校舎と広場が、旅人の頭を静かに整える町です。
最初の夜はニューヘイブンに泊まりました。大学町という言葉は便利ですが、この町にはそれだけでは足りないものがあります。New Haven Green のまわりを歩くと、広場が町の中心というより、町の呼吸そのものになっているのが分かります。道を急ぐ人もいるのに、空気は急いでいない。そこがいい。
Yale Visitor Center は、その町の入り口としてきわめてよくできています。ここで地図を受け取り、Green の向かいから歩きはじめると、旅行者の速度が自然に定まります。ぼくはそういう場所が好きです。大きなことを言わず、ただ「こちらからどうぞ」と町を開いてくれる場所。旅の最初に必要なのは、たぶんそういう親切です。
宿は The Study at Yale にしました。名前の通り、ここは眠るだけの場所というより、少し考えたり、読み返したり、書き直したりするための宿です。部屋で椅子に座って窓の外を見ると、旅の最初の日なのに、なぜかもう数日ここにいるような気分になる。ホテルが与えてくれるのは豪華さだけではなく、心の姿勢なのだと久しぶりに思いました。
夜は町の空気に従って、少し遅めに食事へ出ました。ニューヘイブンでは、何を食べたかより、どう歩いてそこへ着いたかの方が記憶に残ります。大学町というのは、本来そういうものなのかもしれません。目的地より、途中の会話や、風や、石畳や、少し湿った夜の匂いの方が、あとから文章になるのです。
海辺へ来ると、文体が少しだけやわらかくなります。
二通目はミスティックから書いています。朝の港は、驚くほど静かでした。観光地の朝というより、海と町がまだ半分だけ起きている朝です。橋のあたりを歩き、船の気配を見ていると、ここでは時間の流れ方が少し違うのだと感じます。速くない。けれど鈍くもない。ちょうどいいのです。
Mystic Seaport Museum は、町の背景をきれいに見せてくれる場所でした。港町は、ときに雰囲気だけで消費されてしまいます。でもここでは、海と働くこと、船を持つこと、移動すること、物語を運ぶことが、ちゃんとひとつの文化として見えてきます。そういう場所を通ると、旅人の見方も少しだけ真面目になります。
ぼくは海辺の町が好きですが、好きな理由はいつも曖昧でした。たぶん海そのものより、海のそばにある宿や食堂や橋や、少し湿った空気の方が好きなのだと思います。ミスティックでは、その曖昧な好みが急に輪郭を持ちました。朝に歩き、昼に見て、夕方に少し黙る。海辺の町は、それで十分でした。
景色は「きれい」だけでは残りません。町の背景を一つ知ると、翌朝の光まで少し意味を持ちます。
もし日本の友人に「コネチカットで一番印象に残った朝は?」と聞かれたら、ぼくは少しためらってから、この町のことを話すと思います。なぜなら、ミスティックの良さは、名所の名前を挙げるだけでは十分に伝わらないからです。朝の空気と、橋の近くの静けさと、海の匂いと、歩く速度。その全部がそろって、ようやくミスティックになります。
最後に文学の町へ来ると、旅全体が少しだけ言葉になります。
旅の最後にハートフォードへ来たのは正解でした。海辺の余韻をそのまま持ってここへ入ると、この州がただ美しいだけではなく、きちんと言葉を持った州だと分かります。The Mark Twain House & Museum に立つと、建物そのものの存在感ももちろんありますが、それ以上に、文章が家を持つということの不思議さに少し驚きます。
書く人の家を見るのは、少し怖い体験でもあります。なぜなら、ここでは作品の背後にあった生活の大きさが見えてしまうからです。机、窓、部屋の空気、階段の角度。そういうものが、こちらの書く姿勢まで少し正してきます。ぼくは旅行の最後にこういう場所へ来るのが好きです。旅の印象が、ただの写真の束で終わらず、文章のかたちを取り始めるからです。
港町の余韻を、文学で締める。コネチカットが妙に忘れがたいのは、その順番が美しいからかもしれません。
たぶんこの州は、誰かをすぐ熱狂させる場所ではありません。けれど、何かを書いたことのある人、何かを好きになったことのある人、静かな町で少しだけ呼吸を整えたい人には、深く残ると思います。帰りの列車の中で、こんなふうに手紙を書いてしまうくらいには。
日本へ戻ったら、たぶんこう話すと思います。
にぎやかな場所より、歩いて少しずつ好きになる場所が好きな人。旅先でも、町の文体や空気感を気にしてしまう人。宿や広場や朝の光まで含めて、ひとつの州を覚えたい人。そういう人には、この州はたぶんかなり合います。
派手ではない。でも薄くもない。
静かだが、退屈ではない。
コネチカットは、そういう州でした。